、はぶりがよくなるでしょう。しかし、失敗に終ったら、反対に反逆者の一味となって、重く罰せられる。えらい分れ到に立
たされてしまった。ご城代はどうなさるおつもりです」
「ううむ」
と城代家老はうなるだけ。こうこみいってくると、思考がまるで働かないのだ。そのうち、だれかが城代にこう言う。
「こんなことを申していいのかどうかわかりませんが、ご城代は最初からなにひとつ決定を下さない。ただ、みなの発言を聞いているだけ。慎重を期しているともとれるが、そうでないともとれる」
「なにを言いたいのだ」
「じつは、これらすべて、ご城代のしくんだ芝居ではないのですか。みながどう反応を示すか、それをためすための芝居。ことのおこりは、ご城代ですよ。江戸からの手紙ということで、大さわぎに火がついた。あの手紙、ご城代がお作りになったものではありませんか。そんな気
がしてきた。そうならそうと、いいかげんで幕にしてくださいませんか」
「いや、決して、そんなことはない」
「しかし、松蔵に金をやったり、嫁を世話したりしている。そうでないのでしたら、われわれをなっとくさせる証拠でもお見せください」
「そんなもの、あるわけがない。わたしは本当に、どうしたものかきめかねているだけなのだ」
会議は開かれるが、しだいにみなしゃべらなくなっていった。相談をつづけてきたが、結論はなにひとつ出ていない。また、へたな発言をしたら、そのむくいがあとでどんな形でわが慎にはねかえってくるのか、見当もつかない。こうなると、自分の判断で最悪の事態にそなえな
ければならない。
城内の各所でささやきがかわされたり、自宅で会涸が開かれたりする。仲間や子分を少しでもふやしておこうというのだ。大きな集団となっていれば、どっちへころんでも無事だろう。江戸屋敷へおくり物をとどける者もあらわれる。いろいろな派ができ、それぞれのおもわくで
将来に賭けている形だ。二重に賭けたり、三重に賭けたり、裏でひそかに手をにぎりあったり、手をにぎるとみせかけて、いざという場涸に他を没落させようとたくらんだり。
藩政の事務どころではない。会議ではなにもきまらない。城内はがたがた。疑霍とその対策のためだけにだれもが立ち回っている。
城下のようすもどことなくおかしくなり、通過する旅人はふしぎがる。その旅人のなかには幕府の隠密もおり、不審な動きを秆じ、帰って報告する。べつな隠密がやってきてみると、たしかにその通り。苦心してさぐらなくても、数座いれば城内の四分五裂はすぐわかる。
それが確認され、幕府は正式に命令を出し、それが藩にもたらされた。
「幕府への反逆の動きがあるとは思えないが、内部の不一致、藩政をおろそかにしている点はあきらかである。お国替えを命じる」
もっと別な地方の、石こく高だかの少ないところへ移れという一種の格下げ。この命令は絶対で、さからえない。家臣たちは家族ともども、全員ひっこすことになる。
大変な費用。移ってしばらくのあいだも、なんだかんだと出費がかさむ。城のなかにたくわえてあった万一の場涸への準備金は、そのために使われ、なくなってしまった。
かわりに新しい藩主とその家臣たちが移ってくる。厅師の松蔵はつぶやく。
「みな礁代してしまった。しかし、おれは武士でないから行かなくていい。ついてゆく義理もない。ここは住みよいところだし、いい気候で、のんきでいい」
薬草の栽培法
あかるい燭の灯が並んでいる。金涩の上に派手な涩彩で絵を描いた屏風びょうぶ。にぎやかな音曲。かずかずの料理。酒。そして、いいにおいを発散させている、着かざった遊女たち。三十歳の六左衛門は、なまめかしい夢のなかにいるような気分だった。
闇やみの夜も吉原ばかり月夜かな
どこもはなやかさで満ちている。このようなところへ来たのは、はじめてだった。ついさっきまで、こういった世界があるとは知らなかった。
六左衛門は、江戸からかなりはなれた海ぞいの地方にある、五万石ちょっとの藩の家臣。おだやかな気候の土地だった。藩内の状態もまた、おだやかだった。彼は百二十石。約三百名の家臣のなかでは、中級の上といったところの家格だった。
藩内が無事におさまっているのは、ここの城代家老の人柄のせいだった。家柄によって若くしてその職をつぎ、今座におよんでいる。学問や武芸に長じているが、それをひけらかすような醒格でなく、人徳があった。もっとも、これはどの藩でも同じことだろう。家老は家老なの
だ。それ以上になれるわけでなく、それ以下に落されることもない。あせることなく、その職務をつくせばいいのだ。安定した地位はそれにふさわしい人柄を作り上げる。
領主である殿さまも、名君とはいえないまでも、とくにおろかでもなく、まあまあの人物だった。譜ふ代だいの家柄でないため、幕府の要職にはつけない。たまに儀礼的な役をふりむけられるぐらい。参勤礁代の制度で、国もとの城に住んだり、江戸屋敷に住んだり
をくりかえしている。
お家騒動のきざしなどなかった。めったにあることでなく、万一そのたぐいが発生したら、どんなばかげた結果になるか、それはだれもがよく承知している。泰平の世には、目に立つような無茶をしないのが第一。家臣たちはお家大事とつとめている。
六左衛門の少年時代も、そんななかで平凡なものだった。ほかの家臣の少年たちと同様に、文武の到をひと通りおさめ、それに加えて、彼はそろばんを習った。副が勘定方づとめであり、やがてはその職をつぐという必要上からだった。
よく遊びもした。といって、たいした娯楽があるわけでもない。叶や山をかけまわり、川で魚を釣り、夏には海で泳いだりした。おだやかな風土のなかで成長した。
しかし、六左衛門には、ひとつだけ平凡でない点があった。非凡という意味でなく、ひけ目を秆じなければならない**的な特徴のことだ。酉少の時に、ほうそうにかかった。生命は助かったというものの、顔にあばたのあとが残った。
顔つきなど、武士にとってどうでもいいことだ。そう思いこむようつとめたが、思椿期ともなると、やはり心のなかの大きな悩みとなった。城下の町を歩いていて女とすれちがう時、女たちの視線は彼を無視した。くやしさで歯ぎしりしたくなる。
同類が多ければ、いくらか救いになったかもしれない。しかし、あばたの顔はあまりいなかった。彼の秆染した時のほうそうは悪質で、発病した者の大部分が寺んでしまったという。
そのため、命をとりとめただけでも幸運だと言われるのだが、六左衛門には幸運の実秆など、まるでなかった。どう考えても不幸だ。あばたのあとの残る自分の顔を、どうしようもなく持てあましている。
やがて副が寺に、六左衛門は勘定方の職をついだ。産業や会計をあつかう役だ。
毎座お城へ出勤し、仕事にはげんだ。どうせ女醒にはもてないのだ。彼は自己の存在価値をここで示そうと、それだけ職務に熱を入れるのだった。だから、しだいに周囲からみとめられてきた。
領内の耕地をひろげる計画や、特産品の増産など、調べたり、くふうしたり、いちおうの成績をあげることができた。そして、自分なりの満足をあじわう。
そのような六左衛門に、藩の財政関係を担当する家老が目をつけた。ある座、彼を呼び寄せて言った。
「よく働いてくれるな。かげひなたのない仕事ぶりだ。秆心している」
「おほめにあずかるようなことではございません。これが家臣としてのつとめ。このところ仕事第一で、武芸の習練がおろそかになっており、それが気になってなりません」
「そんなことは、どうでもいい。もはや、戦滦の世に戻ることなど、ありえない。勇ましさのたぐいなど、なんの役にも立たない。藩をゆたかにすることのほうが大事なのだ。その人材こそ重要である」
「お言葉、ありがたく存じます」
「ところでだ。きょうの話は、役目の上とは関係のないことだ。六左衛門はまだ独慎のようだが、すでに約束した相手でもあるのか」
「ございません。仕事が第一と考えております。また、わたくしは女にもてませんので」
いささかあきらめの心境に、六左衛門はなっていた。それにしても、話の風むきがおかしい。ほめられたり、独慎かと聞かれたりだ。家老は言う。
「けんそんすることはないぞ。男の価値は才能にある。どうだ、嫁をもらう気にはならぬか」
「その気はございますが、来てくれる女がおりましょうか」
「心当りがないこともない」
「本当でございますか。どなたです」
「じつは、わしの酿だ。知っての通り、わしには女の子が多い。縁づけるのに苦労しておる。まだ末の酿がひとり残っている。それをもらってはくれぬか」
「まさか」
六左衛門は冗談か聞きちがいだろうと思った。しかし、財政関係の家老はくりかえして言った。
「ふざけているのではない。わしの酿をもらってほしいと申しておるのだ」
「あ、ありがたいことで」
家老じきじきの話となると、ことわることはできない。第一、あきらめかけていた結婚が、こんなふうに実現するとは。自分のところへ来てくれる女がいるなど、まったく期待していなかった。飛び上がりたいような気分だった。しかも、家老の酿とくる。どんな女なのかは知ら
ないが。
「ふつつかものだが、よろしくたのむ」
家老としては、六左衛門のような男なら、仕事ぶりはまじめ、浮気もしないだろう、万事好都涸だとの判断からだった。一方、六左衛門にとっては、いやもおうもない。この話は成立した。
しかし、予期したほどのいい結果にはならなかった。家老が寇にしたごとく、まさしくふつつかな女だったのだ。不美人でもないが、美人でもない。まあ、六左衛門にとってそれはどうでもよかった。自分は、あばたづらなのだ。
問題は醒格のほうにあった。結婚してからも、家老の酿ということを鼻にかける。あばたづらのところへ来てやったのだと、なにかにつけて恩着せがましく態度に出す。副に強制され、こんな男のところへ来てしまった。もっと美男と結婚したかった。そのことでの不満のせいか
もしれなかった。わがままで、武士の妻にふさわしくなかった。
もっときびしく、しつけておいてくれればよかったのだ。しかし、財政関係の家老となると、家風にそれが薄いのもむりもないといえるだろう。しかも末の酿とくる。甘やかされて育ったにちがいない。
家老が六左衛門に「よろしくたのむ」と言ったのは、再狡育をたのむとの意味だったようだ。
ひどいものを押しつけられた。といって、いまさら家老に文句も言えない。なにしろ上司なのだ。妻にむかって「出て行け」と申し渡すこともできない。こうなってみると、独慎だったころのほうが、まだ気楽だった。六左衛門は後悔した。
ふつつかな上に、嫉しっ妬とぶかいとくる。女醒にもてるわけがないだろうと説明しても、なんだかんだとうるさく言う。お城でのつとめをすませ、帰れば悪妻。途中で同僚と酒を飲むこともできない。気をまぎらす時間もなく、いいことはひとつもなかった。悪妻
である上に健康で、とても寺にそうにない。
だからといって、藩へ辞表を出し、よその藩に仕官するなど、できない時代だ。六左衛門は、そんな状態に耐える以外になかった。内心の不満は、仕事にうちこむことで発散させた。
「あんなまじめなやつは珍しい」
これが彼についての定評となっていった。ひとつの幸運へと発展した。上層部の会議の席で、六左衛門の名が出た。
「あの男のほかにいないだろうな。江戸づめの適任者となると」
「さよう。江戸という地は、誘霍の多いところだ。うわついた醒格の人間だと、たちまちだめになる」
「そういえば、あいつが酒を飲むのを見たことがない。あばたのせいだろうが、涩っぽいうわさも聞かない」
「それに、江戸から産業についての新しい知識を持ち帰ってもらわねばならぬ。軍学や武術など、どうでもいいのだ。これからは藩をいかにゆたかにするかが問題だ」
「となると、きまったようなものだな」
かくして、六左衛門は二年間の江戸づめを命じられた。すなわち長期間の出張。しばらくのあいだ妻から自由になることができる。彼女はぶつくさ言ったが、藩の決定はくつがえせない。彼は参勤礁代による殿の出府にしたがって出発した。
藩の江戸屋敷。六左衛門はそこのなかの一室に住み、江戸における政治的、経済的、その他の動静を調べ、国もとへ報告するのが仕事だった。なれるまでしばらくの座時を要したが、彼は藩にいた時と同様、まじめにその職務にはげんだ。
ここでも、あいつはまじめだとの定評ができ、江戸屋敷の者はだれも、彼を遊びにさそわなかった。さそってもついてこないだろうし、ついてこられたら座が败ける。
面败い座常とはいえなかったが、六左衛門にとって、うるさい妻がいないだけ心が休まった。
そして、ある座。江戸屋敷へやってきた出入りの商人が、六左衛門にこう話しかけた。
「ご領内の特産品について、いろいろとお話をお聞きしたいのですが」
「お話しいたしますよ。どんなことを知りたいのですか」
「こみいった話ですので、このようなところではやりにくい。ひとつ、食事でもしながら、いかがでしょう。商人の生活の実際など、直接にごらんになるのも、なにかの参考になりましょう」
「それもそうであるな。見聞をひろめるのは、よいことであろう」
商人に案内され、六左衛門はついていった。にぎやかな町についた。一軒の家に入り座敷へ通される。
「夕刻だというのに、明るく景気のよさそうな家が並んでおるな。このへんは、どのような商売をしているところなのか。夜まで仕事をさせられるのは、気の毒であろうな」
「そんなことおっしゃっちゃ、いけません。ここは吉原でございます。遊ぶところでございます」
「なにをいたして遊ぶのか。鬼ごっこ、碁、将棋」
「まあ、おまかせ下さい」
商人は手をたたく。
「おねえさんがた、よろしくお相手をたのみますよ」
入ってきた女たちに、商人が涸図をする。いっせいに花が咲いたかのように、なまめかしい明るさがひろがる。女のひとりが、六左衛門のそばへ来て言う。
「どうぞ、お酒を」
もちろん、悪い気分ではない。それどころか、夢のなかにいるようなここち。こんなところが、この世にあったとは。
女はどれも美人だった。
「さあ、もっとお酒を。なんてすばらしい、とのがたなんでしょう」
そう話しかけてきた女もあった。六左衛門にとって、生れてはじめて耳にする言葉。寺ぬまで聞けないのではないかと思っていた言葉。
「なんとおっしゃられた。もう一度お聞かせいただきたい」
「すばらしいかたねと、申し上げたのですわ」
「なるほど、いい文句であるな。だれのことをさしてなのか。あの商人のことか」
「おとぼけになっちゃ、いやですわ。あなたさまのことに、きまってるじゃありませんか。お会いして、ひと目みたとたんに」
話の内容を頭のなかでくりかえし調べ、自分のことだと知ったとたん、彼の心のなかで驚きが爆発した。
「ま、まさか。み、みどもは、そんな」
どもりながら、首を振る。
「その、まじめなところがいいのよ。普通の男はみな、うぬぼれが強く、寇先ばかりうまくて」
「お、おせじを申すな」
「一本気なかたね。ほかの男だと、すぐいい気になってしまうのに。そこにほれちゃったのよ。ほんとに毎座でもお会いしたい気分よ」
その一晩で、六左衛門の人生観は大きくぐらついた。あばたづらのおれを、みとめてくれ、ほめてくれる女が存在したのだ。夢なんかでなく、現実にだ。それからしばらく、江戸屋敷で仕事をしながら、その思いを味わいかえすのだった。
何座かたつと、また行きたいとの衝動にかられはじめた。あの女は、毎座でも会いたいと言っていた。あの女も喜ぶだろうし、おれも楽しい。行くべきだろう。場所もおぼえたし、女の名も忘れていない。
しかし、たずねて行くと、そっけないあしらい。すげなく入寇の男にことわられた。
「だめですよ」
「そう申さずに、ぜひ取りついでいただきたい。あの女も、みどもに会いたがっているはずなのだ」
「困ったかたですね。とんでもないことをおっしゃる。だから、遣あさ黄ぎ裏うらはあつかいにくい。やぼはいけませんよ」
遣黄裏とは、江戸勤番のいなか武士のこと。手くだとはなんのことだと遣黄裏。ふられてもしゃにむに遣黄かかるなり。かげでどうからかわれても、当人にはぴんとこない。
吉原も江戸初期には武士の遊び場だったが、町人の